人をイジる際は最低限の敬意を払おう。そこに愛情があるのかどうかがとても大事。
昨日のブログの反響がヤバいですね。はい。だってヤバいだろうなって思って書いてますから。特におじさん、おばさん達がドキッとなる内容をごめんなさい。
実はタイトルも何回も書き直しました。読者登録してる人は知ってるよね。
でもこれを見てるって事は、まだSNSをやってるって事ですから。( ちょっとだけ救いの手 )
ホントにヤバいのはこのブログの読み方も分からない人たち。存在も知らない人たち。新聞やテレビのニュースでしか情報を仕入れない人たち。ガラケーの人たち。その人たちに比べたらまだマシかも。
でも知らない方が良かったという人は、もう今後SNSもやらないという選択肢もあります。現に、SNSなんてやっても意味ない!って頑固一徹、星一徹に言い放ち、この世界を去っていった人たちをボクはたくさん知っていますからね。みんな生きてるのかな。とはいえ、これ読んで危機感感じたってやらない人はやらないし、やり方が分からない人だらけだし、これからどうしていくか、この激変する環境をどう乗り越えていくかは、結局自分次第ですからね。やるかやらないか。それしかもう言えない。なんも言えねー。( 北島康介ふるー )
さてさて、今日もまたこんなツイートについて触れたいと思います。
人をイジる際は最低限の敬意を払おう。そこに愛情があるのかどうかがとても大事。たいしてその人の事を知りもしない人が、出会ったばかりの人をイジっていいわけがない。
つまり「 オレはイジって良くても、お前はイジってはいけない。」
イジメとイジリは違う。でもイジられるのはおいしい。— 短パン社長 奥ノ谷 圭祐 (@Okunoya_jr) March 15, 2018
テキストにしよう。
人をイジる際は最低限の敬意を払おう。そこに愛情があるのかどうかがとても大事。たいしてその人の事を知りもしない人が、出会ったばかりの人をイジっていいわけがない。 つまり「 オレはイジって良くても、お前はイジってはいけない。」 イジメとイジリは違う。でもイジられるのはおいしい。
こちらもなかなかの反応がありました。
ボクは元来イジられるという事はとってもおいしい事だと思ってます。
でもイジられるのを拒む人もいます。ただ、その人の事はイジらなければいいだけであって、イジられたくない人はそこを離れていけばいいだけのこと。
ただツイートもしてるように、「 イジる際は、最低限の敬意を払おうね。」ということです。
大してその人の事を知りもしないのに、出会ったばかりの人を、他がイジってるからオレもイジろうなんて思ってはいけないってこと。ま。よくある話なんですけどね。そしてもっとタチ悪いのは、イジるだけイジって何かあった時に逃げてしまう人。責任持たない人。あれマジ、サイアク。
ま。要はそこに愛情があるかどうかなんだわ。結局。
イジメとイジリは違う。とどのつまり「 オレはイジってもいいけど、お前はイジってはいけない 」そういう事なんだよ。エグチ分かった?
さ。明日からはいよいよシンガポールです。絶対楽しいだろうね。シンガポールの社員向けに講演。更にその次の日はシンガポールのOWNDAYS SUMMITに参加できるという。今年はより刺激的な1年になりそう。スケジュール見るだけで吐きそう爆 幸せすぎてしんどい笑 ええ。OWNDAYSなだけにw
それでは。明日も早いので。おやすみなさい。